センスや美学が違う人
2025
Emma Miles Higashi
1/25/20251 min read
1月の謎の忙しなさは毎年のことだけれど、今年もここ数週間なにかとばたばたしていた。
なにも大したことはしていないのに。
さてスペインにいた頃に比べると随分と人付き合いが増えた。この土地に移り住んだことで、何気ない言葉を交わし合ったり、一緒にお茶をしたり、自宅の食事に招待したりできる素敵な人たちに出会えて本当に感謝している。
私にはインドで出会った大切な友達が何人もいて、みんな色んな国、土地に暮らしているので頻繁に会うわけではないけれど、その人たちとのインド時代の思い出を思うといつでも気分が良くなる。
その中の一人が去年末に家族で台北に移住した。2023年にスペインから日本に帰国したときは家族で羽田空港まで会いに来てくれた。そして同じ日本に1年と少しいた間に2回ほど会うチャンスがあっただけで、今度はこの人たちが外国に移住した。
当たり前だが私とはまったく違う性格や人生設計を生きているけれど、やはり友だちになる人達(仲良くなって長い間つながりが続く人)というのは根本の美学や、世界を見る視点のようなところに共通するものがある気がする。その人が選ぶものが好きだったり、ピンとくる発言をするのだ。顔や声や所作も私にとって好ましかったりする。
それ程経験があるわけではないけれど、実際に会ったことがなくてソーシャルメディア上で知っていた人に対面した場合でも、その人のセンスや美学に共感したり尊敬している場合、実際にあってそのイメージを裏切られたことは一度もない。
反対に言葉の選び方や、所作や物の選び方、もっと言うと声や発声が好きじゃないと大体うまく行かないように感じる。対面でも、メディア上での投稿の仕方やなにやらにピンとこなければ実際にあってもピンとこない気がする。そんな事例が沢山あるわけではないのでこれは想像だけど。
仕事や役割など自分のプロフェッショナルな領域に対する取り組みや、その質を上げるための修練に対して「好き/嫌い」「やりたい/やりたくない」というのは個人のエゴのフィルターを通したただの感情なので、そういったことを言い訳にしてやったりやらなかったりするのではなくしっかりと向き合うのが一番シンプルで唯一の道だ。
しかしこと対人関係に関しては自分とセンスや根本的に大切にしている部分が極端に違う人や、見たり喋ったりするだけで不快になる人(そうそういないと思うけど)には近づかない方が良い。
「嫌いだわ、この人」という感情にも大抵気づきはあって(自分の嫌な部分をその人の中に見ていたり)、そこに気づいて「私の好きなのはこっちで、こういう方向を目指せば良いんだわ」という道標にすることはできるけれど。
50歳が目前になった今、余計なことでマインドを忙しくしている時間なんていよいよ無いわ、と思った1月でした。特に嫌なことがあったり嫌いな人に出会ったわけではないのです。たまにPodcastで喋ったことを「私のことですか?」という被害妄想めいたメールをもらいますが、大抵違います。