お金の話

2025

Emma Miles Higashi

3/8/20251 min read

現在、現実的なテーマについて新しい「引き寄せ」の目標を立てていて、霊的な意味でも具体的な意味でも現実化のための行動を始めた。

少し先の将来の願望と、近い未来の願望がそれぞれある。2023年に蓼科の森に土地を買い、家を建てることを実現するまでに必要だった時間は2年から2年半くらいだったと思う。

この願望実現は物質的な意味では今までで最大のものだったけれど様々な条件(自分の蓄えなど)を考えても実現できる気しかしなかった。つまり潜在意識レベルでも疑いがなかったので色んなドラマはありつつもすごいスピードで実現していったのだった。

家が完成したとき私はスペインに暮らしていて当時から今の円安はすでに始まっていて、ほとんどのインカムは円で受け取りながらユーロ圏に暮らしていた。スペインに暮らし始めた15年前は1ユーロ=100円みたいな円高の時期だったので、その当時の物価と円高とを比較するととんでもない変化だった。

まず移住の際、私たち夫婦と犬2匹、猫2匹の飛行機代は中古の軽自動車が余裕で買えるくらいの金額だった。そして家には建築事務所といっしょに選んだソファや照明やすぐに仕事が始められるためのデスク、ダイニングテーブルと2脚のチェア、ベッドフレームとマットレス、だけがあり生活に必要な台所道具からバスルームの椅子まで、それこそ思いつく限りの生活雑貨をインターネットで購入し友人の家に送りつけ新居まで運んでもらっていた。その金額も中古の軽自動車が買えるくらいの金額。ちなみに私たち夫婦は財布は別で、私のわがままで日本に移住してもらったので移住に関するすべては私が払った。

そしてそれ以降、つまり移住して2年ほど毎月中古の軽自動車を購入しているような消費が続いていた。今思うと最初は必要なもの(言い訳するとこの中には今乗っている車やら家電を1から揃えるとか、新婚旅行や夫の里帰りのエアチケットも含まれる)の購入だったけれど、途中からその買い物のリズムが普通になって麻痺状態というか軽度の買い物依存症のようになっていたのかもしれない。

今年に入って「毎月軽自動車を買っている場合じゃないわ!」とハッと我に返り(びっくりするくらいマイルは貯まっていたけれど)、お金の流れを見直し無駄を見直したところようやく地に足を下ろせた。

そして冒頭の少し先の将来と近い未来の願望を書き出して、そのテーマに対するアファメーションを始めたら憑き物が落ちたように、お金を使わなくなり今度は毎月の投資信託に回す分を差し引いてもそれそこ中古の軽自動車が買えるくらい手元にお金が残るようになった。いい意味でも悪い意味でもあまりお金に執着がないので、お金に関連する願望や目標を明確にしていないと(何のためにいくら貯めるとか)、無意識に出ていってしまうのかもしれない。

少し前から、本当に必要なものだけ買うという至極当たり前のことをして無駄を省いていくと今度はそれが楽しくなってきたのだった。勉強や経験にはケチケチしたくないので相変わらず本は沢山買っているし、これからも旅行はするけれど、そもそも私はモノに執着していないはずだったのに移住の前後3年間はとにかく変だった。(そしてお金というのは無駄な遣い方をすると出費がかさむような出来事がどんどん流れとして起きてくるのだ)

近い未来の願望とは我が家の西側にある土地を買うこと。西側の大きな窓の向こうに森が広がっていて(ヘッダーの写真)、この景色が好きでこの場所に家を立てたと言っても過言ではない。だけどこのところこの別荘地にも移住者が増えて、毎年どこかしらで新しい家が建てられている。この土地は旗竿地であまり周辺には家が建っているので売れなさそうだけれど、隣の土地に美しくない大きな家が建って景観が台無しになってしまった友人もいるので、早々に買っておきたいと思った。

将来、仕事場兼ゲストルームのような、あるいは母が暮らせるような離れをつくるのも悪くないけれど、当分は木の手入れだけをして景観を楽しみたい。10年くらい先の願望はまたいつか。

ちなみにお金のめぐりを良くするには、仕事をする時の意識がすべてだと思う。仕事を通して関わる人やいつも側に居てくれる人たちの幸せや喜びや心の健康のために全力で取り組むこと(すこし祈りも込めたり)。仕事の質を向上させるための勉強や小さな取り組みを続けること。そしていつも機嫌良くいることとと、毎日のトイレ掃除。これプラス感謝ワークとアファメーション、それがあるとめぐりは絶対に良くなっていく。

エネルギーであるお金を使うことは巡りをよくすることなので、人のためになることや自分の学びにはけちけちせずどんどん使うことは大切。溜め込んでもこれはこれで良くないのだ。さじ加減が難しいですね。これも日々の学びで上手になっていきたいと思う。