やさしさとは

2024

Emma Miles Higashi

12/6/20241 min read

約6週間スペインに里帰りしていた夫が帰国。デヴィッドの地元であり私達が暮らしていたマラガ県はアントニオ・バンデラスやパブロ・ピカソの出身地でアンダルシア州ではセビージャに次いで2番目に大きな都市。

ではあるけれど、日本へのアクセスは悪く直行便はないので (厳密にはイベリア航空がマドリッドから出ているけれど運行していたりしていなかったり) 、ヨーロッパの主要都市で乗り換えが必要になる。私はヘルシンキかパリ経由ルートが好きだった。

デヴィッドも今回エアフランスでパリ経由だった。マラガからパリまでが約3時間、パリから羽田まで約13時間、そこに沢山の待ち時間があって、約18時間くらいの移動。私は日本に移住するまで日本↔ヨーロッパ間の移動を年に1度はしていたけれど、年齢のせいか日本に根が生えたせいか、こんな長い移動はもうできる気がしない。

9月に台湾に行った時、たった3時間のフライトでクタクタになってしまった。

木曜は朝のヨガクラスと個人セッションを終えてから、美穂さんと美穂さんのお友達の姪夫婦と4人で「やまのいきあめのこえ」でランチをする。伊那市に住む若くて可愛い2人とご飯を食べてほっこりした後、高速に乗る前に長生館で背骨(特に首)を整えてもらい長距離運転に備える。

スターバックスでエスプレッソショット追加の巨大なラテを買い、高速を3時間弱運転して羽田へ。

誰かを空港に迎えに行くのは初めての経験だった。思い出してみると私はいつも出迎えてもらうばかりだった。インドや日本から帰ってマラガ空港で出迎えてくれたデヴィッド、日本に帰国した時に羽田に来てくれた順子、ステラ、さとしくん。空港の到着ゲートで誰かが待っていてくれるだけで、長旅の緊張が解けほっとできる。デヴィッドは初めて1人で日本↔スペイン間を旅して帰ってきた。

再会を喜び、そしてやっとボンボンを失った悲しみを同じ場所で共有することができた。羽田空港の駐車場の車の中で一緒に少し泣いた。

ボンボンは亡くなった翌日、12月1日の美しい青空の午後に近所に住む友達(沢山来てくれました)に見送られて火葬された。戻ってきた遺骨には、友人が送ってくれたお花(沢山の方がお花を送ってくださりいつも配達してくれるクロネコのお兄さんに「大丈夫ですか?」と心配された)を飾り「お線香をあげに行きたいけど行けないから」と順子が送ってくれたAesopのインセンスを焚いて彼の旅路を祈った。

羽田から深夜に帰宅し、2人でボンちゃんに挨拶してまた少し泣いた。悲しいけれど、ボンちゃんに沢山のことを教えてもらった。私達は喪失や悲しみを経験するから人に優しくなれるのだろう。他者に思いやりをもてるのは、自分が悲しみに沈んだ時心を寄せてもらったことがあるからだろう。

ボンちゃんとの別れを通して、もっと優しくなれる気がしている。